ヤマガタンver9 > 館長裏日誌 令和6年6月29日付け

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▼館長裏日誌 令和6年6月29日付け

■「おくの細道」出羽三山の話
 以下、「おくの細道」の月山の鍛冶小屋の記述部分です。山形県には旧暦5月17日(新暦7月3日)に尾花沢に入り、6月27日(新暦8月12日)に温海を出ます。なので、文頭の「八日」は6月8日(新暦7月24日)のことです。また文中に「彼竜泉に剣を淬(にら)ぐとかや。干将・莫耶の昔をしたふ。」とありますがこれは、「かの中国の龍泉では(その霊水で)剣を鍛えた。(刀工夫婦の)干将・莫耶の苦労をしのぶ」というものです。
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 八日、月山にのぼる。木綿しめ身に引かけ、宝冠に頭を包、強力と云ものに道びかれて、雲霧山気の中に、氷雪を踏てのぼる事八里、更に日月行道の雲関に入かとあやしまれ、息絶身こごえて頂上に臻れば、日没て月顕る。笹を鋪、篠を枕として、臥て明るを待。日出て雲消れば、湯殿に下る。
 谷の傍に鍛冶小屋と云有。此国の鍛冶、霊水を撰て、爰に潔斎して剣を打、終「月山」と銘を切て世に賞せらる。彼竜泉に剣を淬とかや。干将・莫耶の昔をしたふ。道に堪能の執あさからぬ事しられたり。
 岩に腰かけてしばしやすらふほど、三尺ばかりなる桜のつぼみ半ばひらけるあり。ふり積雪の下に埋て、春を忘れぬ遅ざくらの花の心わりなし。炎天の梅花爰にかほるがごとし。
 行尊僧正の歌の哀も爰に思ひ出て、猶まさりて覚ゆ。惣て、此山中の微細、行者の法式として他言する事を禁ず。仍て筆をとヾめて記さず。坊に帰れば、阿闍梨の需に依て、三山順礼の句々短冊に書。

涼しさや ほの三か月の 羽黒山
雲の峰 いくつ崩れて 月の山
語られぬ 湯殿にぬらす 袂かな
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 芭蕉は出羽三山(羽黒山、月山、湯殿山) の三山を巡礼した後、その順に句を書き留めています。それら句の芭蕉の真筆の短冊は山形美術館に所蔵されていますが、山寺芭蕉記念館ではその複製を展示しています。
 羽黒山は現世の幸せを祈る山(現在)、月山は死後の安楽と往生を祈る山(過去)、湯殿山は生まれかわりを祈る山(未来)とされ、出羽三山への参拝は、江戸時代に現在・過去・未来を巡る「生まれかわりの旅」として広がりました。
 この三山を合祀する出羽三山神社の御朱印は、見開き2頁にいただく迫力あるもので、神社まで2,446段の石段を上るだけのありがたみがあります。とは言うものの、実は神社まで直接、路線バスで行けます。逆に神社からスタートして石段を下ることもできますが、体力的には楽でも、膝にきます。

■湯殿山の話
 この芭蕉の詠んだ出羽三山の句に続き、弟子の曾良も並べてられています。
「湯殿山 銭ふむ道の 泪かな」〜湯殿山の山道には、賽銭がいっぱい落ちていて、それを踏んで参拝することに涙が流れるほど感銘を受けた〜というもので、湯殿山では、地に落ちたものは拾うことを法で禁じていることによるものです。
 また、中腹にある湯殿山神社は「語るなかれ」「聞くなかれ」といわれ、今も本宮は撮影禁止です。「おくの細道」にも「惣て、此山中の微細、行者の法式として他言する事を禁ず。仍て筆をとヾめて記さず。」とあります。しかしながら、今やもうネット上には、御神体の写真までアップされています。
 湯殿山という名のとおり、お湯があふれ出る山が御神体で、参拝場内はそのあふれるお湯の「源泉かけ流し」状態で、夏はお湯が熱いくらいのところを、御神体まで裸足で歩きです。参拝場の出口には立派な足湯施設があるのですが、温泉マニアの方には、手前の大鳥居近くにある湯殿山参籠所の「御神湯」というものが知られています。6畳ほどの部屋に青森ヒバの浴槽があり、正面の壁に神棚があります。天照大神の妹神と言われる丹生都日女神(にぶつひめのかみ) が祀られ、神棚に手を合わせ一礼してから入湯します。
 余談ですが、お湯の神様と言えば、月山の登拝道に「今神(いまがみ)温泉」という湯治場があります。1000年以上前から難病で苦しむ人々が湯治のため長期間滞在した温泉ですが、現在は休業中です。山形県戸沢村の山奥の秘湯で、生活道から4キロほど山道を進んだ場所にあり、6月から9月末までの営業に合わせて仮設の橋を架け、かつては片道3時間近くかけて歩いてきたそうです。それでも効能、いや効験あらたかで、訪れる人の後が断たなかったようです。
 浴場には祭壇が備えられており、混浴で各自が白装束をまとい、念仏を唱え祝詞をあげながら入浴します。浴室の壁面にはびっしりと祈願の書付が懸垂してあり、ビジュアルだけでも圧倒されます。ぬる湯で、1回の入浴は3時間ほど、最初は1日5時間ほど入浴。3度の食事や休憩をはさみながら入浴し、だんだんと8〜10時間も湯につかり、合わせて150時間ほどになるまで滞在するとのことで、日帰り入浴はおろか1週間でもお断りしたそうです。飲泉の効果もあり、特に胃腸病や皮膚病、リウマチなどに効くとされました。このまま「伝説の湯」とならないことを祈るばかりです。

■アブラゼミの話
 「蝉の声論争」、つまり、アブラゼミとする歌人斎藤茂吉とニイニイゼミとするドイツ文学者小宮豊隆との論争については、芭蕉が訪れた時期はアブラゼミでは早い、という理由でニイニイゼミに軍配があげられたようです。しかしながら学芸員Aさんは、この時期ヒグラシの声も聞こえた年があるとして、アブラゼミの可能性はあると指摘しています。一般的に蝉の鳴き始める順は、ニイニイゼミ→アブラゼミ→ミンミンゼミ→ヒグラシ→クマゼミ→ツクツクボウシ→エゾゼミらしいです。
 蝉の声論争にあえて参戦するなら、「岩にしみ入る」のは個人的に、ビジュアル的には透明な羽をもつミンミンゼミ、サウンド的にはカナカナゼミことヒグラシであればいいなとは思っています。しかしながら、山形の皮膚感覚ではアブラゼミで、とにかく身近な蝉はアブラゼミで、茂吉の感性は地元ならではとも思います。
 ところで、ミンミンとかツクツクボウシとか、他の蝉は音声(羽音)なのに、なぜこれは「アブラ」なのか。もしかしてそれを食べたら、なんか油ぽかったからなのでしょうか。なんとあの「クック・パッ〇」でも蝉料理が紹介されてはいるのですが、これがまたすごい料理バリエーションとなっています。
 実はその鳴き声が、油を熱した時の「ジリジリ」という音に似ていることでアブラゼミと名づけられたとのこと。ならば「ジリジリゼミ」でもよかったのではと。でもジリジリゼミでないのはきっと、この蝉が鳴く時期の油を熱したような暑さと、このアブラゼミが重なってしまったのでしょう。ちなみに山形の夏は意外に暑く、暑すぎると蝉は鳴き止み、木から落ちることもあります。
もっとも、山寺はそれなりに涼しくもあり、よろしければこの夏、蝉の声を聴きに出かけられてみてはいかがでしょうか。山形駅から山寺駅まで、電車で20分程度です。山寺芭蕉記念館の「妖怪」展もあわせていかがでしょうか。もしかしたら、学芸員Aさんとも遭遇できるかもしれません。

■ことわざ・名言の話
 学芸員Aさんは、「月山刀」でも「キヨシロー」でも、どうも「食わず嫌い」というか、「馬を水辺につれていけても、水を飲ませることはできない」という感じというか。結構なペースで居酒屋などに出没するのに、日本酒は「山形政宗」という天童の酒しか飲まず、鶏肉以外の獣肉は食べないという、どこの宗教にもないようなルールで身を律しています。まあ、お互い還暦を過ぎているため無理強いはしないのですが、たまには「清濁併せ呑む」ようなことも期待したいわけで。
 さて、「好きこそものの上手なれ」と言うことわざがあります。いまや山寺芭蕉記念館の看板企画となっている妖怪展などは、まさしくこれで成し遂げられたのですが、歴史でも文学でも刀剣でも妖怪でも、好きな人にはかないません。好きなことには熱心になり、自然に工夫し勉強するようになるので、上達も非常に早くなるわけで、これがさらに論語では、「子曰、知之者不如好之者、好之者不如楽之者」(子曰く、これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず)とあります。「好き」の上には「楽しい」がくるんですね。やはり大谷さんとか藤井さんとか、そんな感じがします。確か、昨年の夏の高校野球大会で優勝した某高校野球部の合言葉も「Enjoy Baseball」でした。

2021/06/29 17:15 (C) 最上義光歴史館
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