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●令和6年度 上杉文華館「謙信、能登平定」I
令和6年度の上杉文華館では、16世紀の長尾上杉氏と北陸地域(主に越中・能登)の歴史的関係について、国宝「上杉家文書」を中心に通時的に紹介します。 越後と隣接する北陸地域への侵攻は、上杉氏の領国(領土)形成の上で重要であり、北陸の諸勢力をいかに統合するかがカギとなりました。ただし、上杉謙信の北陸侵攻は、武田信玄や北条氏康といった関東甲信勢力のほか、一向一揆や織田信長などとの関係・動向に規定される側面があり、謙信を取り巻く当時の政治状況に配慮したなかで行われました。 謙信の北陸侵攻は、関東侵攻(17回)に次いで多く行われており、その数は11回に及びます。小田原北条氏・甲斐武田氏との関係変化により、信濃・関東の攻略が足踏みする中で、北陸地域は上杉氏の領国化が叶った地であり、謙信の晩年になって越中と能登が上杉氏の版図に組み込まれています。 北陸地域における同盟者の裏切り、敵対勢力との和睦・合力など、目まぐるしく変わる情勢に、長尾上杉氏がどのように対応していったのか、一進一退の攻防を繰り返した長尾上杉氏の北陸侵攻を主軸に据えて、その内容を深めていきます。 第10回「謙信、能登平定」 【展示期間】12月24日(火)〜2025年1月26日(日) 展示目録はこちら 天正5年(1577)閏7月、上杉謙信は北陸の諸将からの要請を受けて、同年初めに攻略しきれなかった能登へ再度出馬します。11度目を数える今回の北陸侵攻は、謙信の生涯において最後の出馬となりました。一方、織田信長は、米沢の伊達輝宗に謙信の背後を衝くよう求めるなど(資料1参照)、謙信との対立を優位に進めるべく策略を企てました。 謙信の能登侵攻のなかでカギとなったのは、七尾城の存在でした。難攻不落との呼び声高い七尾城の攻略に向けて、謙信は能登畠山氏内部の切り崩しを図り、9月15日に七尾城を落城させました。その後、謙信は、末森城(石川県宝達志水町)と松波城(石川県能登町)を攻め落とし、能登一国の平定に成功しました(資料2)。さらに謙信は、能登に対して制札を掲げ(資料3)、越中・能登・加賀の諸勢力を自身の配下に組み込みました(資料4)。 今回の展示では、謙信が能登を平定する天正5年の政治状況について紹介します。 ▼ コレクショントーク 日時:2025年1月5日(日) 14:00 場所:常設展示室 上杉文華館 ※入館料が必要です。 令和6年度上杉文華館展示スケジュールはこちら 皆さまのご来館を心よりお待ちしております。 【お問い合わせ】米沢市上杉博物館 0238-26-8001
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2024.12.24
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